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福島宿

 石仏巡りの旅は旧街道をたずねる旅でもあります。これまで、長野市の北国街道の本道・善光寺道および東脇往還・松代道を中心に探訪してきました。今回は松代道の福島宿を起点とする大笹街道を、仁礼宿、そして峰の原高原へと辿ります。この街道沿いには60余体の石仏があるといわれています。
 まずは福島宿と北国街道の位置関係を、人様の地図を拝借して、おさらいしておきましょう。


「信州の街道探訪」より「北国街道」国土交通省関東地方整備局 長野国道事務所)

布野の渡し、馬頭観音

 松代道は善光寺道の丹波島の渡しが川留めの際に迂回路となることから「雨降り街道」とも呼ばれました。福島宿の布野の渡しはあまり川留めになることはなかったようです。

布野の渡し
 布野の渡しは、旧水内郡 里村山村・布野村(現長野市)と高井郡福島村(現須坂市)とを結ぶ渡しでした。福島宿は、千曲川右岸の自然堤防上に開けたムラで、戦国時代から舟渡しを持つ交通の要衝地でした。
 松代―川田―福島―布野の渡しを経て長沼に至る松代道は、北信州と上越を結ぶ街道として、また福島を起点に仁礼を経て上州大笹へと通じる道(大笹街道)もあり、布野の渡しは人々の往来や物資移送の重要な街道・善光寺道の渡し場でした。

 また、福島宿は上州へ向かう大笹街道の起点でもありました。仁礼宿を経て、菅平、鳥居峠を越え、嬬恋村の大笹の関所、そして高崎に至ります。上州側では仁礼街道と呼ばれていたそうです。


 本陣、福島城址の文字が見えます。


 村の北入口の堤防脇に馬頭観音があります。以前は堤防の西側(川に近い側)にあったそうです。

 現在地の石造馬頭観音像碑は道標を兼ね、基壇に
右中野道 小布施道/左北国街道 布野船渡
と刻まれています。
 また、対岸の旧布野村・里村山村境にあった線彫り地蔵尊の道標(現在は村山神社境内にある)には、
東はえちご、飯山、水内郡/西は善光寺、戸隠道
と刻まれています。

 右は谷街道です。稲荷山(現千曲市)が起点で、矢代(屋代)で千曲川を渡って、松代、須坂、小布施、中野と川の東側を北上し、飯山を経て越後の十日町街道に合流します。 (参考:奥信濃みち 谷街道・飯山街道・大笹街道


 道標だということですが、どこに字が書いてあるのか見落としてしまいました。


 だって、馬頭観音が自分で馬に乗ってるし、いろんなお道具をもっているし、口をあけて面白い顔をしているものだから。

西福寺


 珍しい騎乗スタイルの馬頭観音像のほど近くに西福寺があります。


 入口の六地蔵と思いきや、左から2番目の像は……


 蓮を手にもつ観音様ですね。どうして六地蔵の中に観音様? 


 入ってすぐ左にピカピカの薬師堂があります。再建してまだ10年たっていません。西福寺の開山は1192年、いいくにつくろう鎌倉幕府ですよ。法然の直弟子である金光(こんこう)上人*1がこの地にいらしたんですね。

薬師堂縁起
 当寺は建久三年九月一日(1192)浄土宗開祖法然上人高弟金光上人により開山されました。
 天文年間、浄土宗捨世派開祖*2遵道上人を住職に迎え、大いに寺門の興隆に資していたところ、地域一帯に疫病が蔓延し、時の城主井上河内守政清公が是を嘆き、病気平癒にと天文三年(1534)、遵道上人に文殊大師の像を送りました。
 病気の快復に感謝の念となり、その後薬師如来を奉じ御堂を建立し、心身の御加護を戴いて参りました
 平成十一年、老朽化ゆえ解体されたお堂も再建を望む大勢の方々により平成十六年四月十日、新たに薬師堂を再建し、当山に伝●された瑠璃光医王薬師如来を奉じ、仏具等が納められました。


 薬師如来


庚申塔が二つ並んでいます。古いのは左です。

庚申塔
 六十日に一回巡ってくる庚申の日に、その夜を眠らずに過ごして健康長寿を願う信仰が江戸時代に広まり、これを庚申待ちといいます。この仲間の人たちが建てた塔を庚申塔といいます。
 この庚申塔は高さ108.2センチの石祠形で、その銘文から寛永20(1643)年に造られた市内最古の庚申塔です。以前は、福島集落の北入口の堤防上にありましたが、後にこの西福寺に移されました。


左の四つ窓の中では「一光三尊青面金剛」(庚申さん)が万歳しています。

 庚申塔須坂市指定有形文化財です。いきいきすざか

*1:法然上人の命で、奥州地方に念仏の教えを広めました。お墓は青森市にあります。

*2:浄土宗捨世派の開祖は称念、本山は京都の一心院だそうです

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