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そうか、京都に行こう。2日目(3)「石峰寺」

そして、電車に乗って今回の旅の一番の目的「石峰寺」へ「若冲五百羅漢」に会いに行く。京阪本線「深草」駅下車、徒歩五分。「伏見稲荷」の次の駅。


長〜い石段を登りチャイニーズな門を潜り抜けると、そこは若冲ワールド!

石峰寺
百丈山(ひゃくじょうざん)と号し、黄檗宗に属する。宝永年間(1704-1711)、万福寺の千呆(せんがい)和尚の創建と伝えられ、当初は諸堂を完備した大寺であったが、度重なる災火により堂宇を焼失し、現在の本堂は昭和六十年(1985)に再建されたものである。
本堂背後の山には石造釈迦如来を中心に、十大弟子五百羅漢、鳥獣などを配した一大石仏群がある。これは江戸時代の画家「伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)」が当寺に庵を結び、当寺の住職「蜜山和尚」とともに制作したもので、釈迦の生涯を表している。なお、境内には若冲の墓及び、筆塚が建てられている。
京都市

さて「伊藤若冲」とは何者か。

伊藤若冲」 (いとう じゃくちゅう 1716年-1800年)
江戸時代中期の画家。光琳派より宋・元の古画を学び、のち写生を基礎として専ら動植物を描き、特に鶏画家として有名である。 京都の青物問屋に生まれた彼は、仏教とくに禅への並々ならぬ傾倒を示し、三十歳代半ばより「相国寺」の大典禅師に参禅、若冲居士の号を得る。 晩年隠棲者として「石峰寺」の古庵に住み、米一斗に一画を報い、「斗米翁」として、寛政十二年九月十日、八十五歳の生涯を閉じた。

パンフレットより。

デザインしたのは若冲だけど、彫ったのは石工職人です。だって若冲は画家だもの。


ご本尊はちょっと寄り眼の釈迦如来様。
さて、ここからいよいよ若冲ワールド!


先ずは「若冲居士」に手を合わせる。


もう一つチャイニーズな門を潜る。


天上天下唯我独尊」。釈迦誕生の場面。


菩薩の一「お待ちしておりました!お釈迦様!」 釈迦「ふむ、待たせたな」。来迎諸菩薩の場面。

この石仏群は大きく分けて「釈迦誕生」「来迎諸菩薩」「出山の釈迦」「十八羅漢」「説法。釈迦・文殊・普賢」「托鉢修行」「諸羅漢座禅窟」「涅槃場」「賽の河原」と九つの場面が描かれている。思っていたよりコンパクトに集められていて、二時間かけて二周してしまった。人それぞれに、その時の気持ちそれぞれ、日の当たり方、角度によって見方が変わってしまう。それが石仏の魅力。たかが石といっても、語りかけてくるその姿は心を映す。


「出山の釈迦」は長い長い修行の末、アフロヘアーになっていました。


待ち受けている羅漢さんたち。


ここにも一人、瞑想する羅漢さん。


「十八羅漢」の場面。


「ぬっ!」


「ぬ、ぬっ!」仲良し羅漢さん。


見てるよ、見てる。


「説法、釈迦・文殊・普賢」の場面。文殊菩薩はちゃんと獅子の上に座してます。普賢菩薩の下には白象のような、そうでないような…。


瞑想にふけているのか、それともうたた寝か。


「托鉢修行」の場面。まるてんてんてん、それだけで修行僧。


修行中の三人組。カワイイ!


少し離れて苦い顔。


ギョロ目の羅漢さん。


「諸羅漢座禅窟」の場面。


達磨さんがいるよ。


何故か気になる羅漢さん。恥ずかしがっているのか、泣いているのか、困惑しているのか、はたまた思案中なのか。見るたびに違って見える。


教え諭す長老と無邪気な子供、それを見守る父親か。


ちょっと離れた所に一人佇む羅漢さん。紅葉に埋もれて何を思う。


「釈迦涅槃」の場面。お釈迦様が死んじゃったよぉ…。嘆き悲しむ諸羅漢さん。


お釈迦様のために動物たちも駆け付けました。この駆け付けた順序が十二支の子・丑・寅・卯…、となったという説もあります。


賽の河原」の場面。いつでもどこでもどんな時でも子供の見方、お地蔵様と子供たち。


お行儀よく並んでいます。


一光三尊像。おそらく釈迦、文殊、普賢。


さて、この方はどなたでしょう?


夕暮れ迫る石峰寺。もひとつお寺に行くぞ!急がなきゃ!


「石峰寺」のお土産。水野克比古氏の「石峰寺」の写真集と御朱印。「高着眼」ってどんな意味?