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髻山(もとどりやま)登山

 門松作りも掃除も終わり、あとはお重を詰めるだけ。いい天気なので、雪の髻山に行くことにしました。登って下って、1時間もあれば十分でしょう。


 国道18号線赤沼付近から見た髻山。すり鉢を伏せたようなきれいな形をしています。南東の吉(長野市)から登ると1時間半かかるようですが、北側の牟礼の平出(飯綱町)からなら20分で登れるようです。


 平出の登山道入口です。積雪15cm。だいぶ日が傾いていますね。登り始めは15時頃でした。


 やっぱり火山でしたか。つねづね、きれいなコニーデ型だと思っていました。

髻山は火山です

 髻山から算出する岩石は、安山岩とよばれ墓石や建設用の石材として利用されてきました。この安山岩を、カリウム−アルゴン法で放射年代を測定したところ、18〜22万年前の溶岩であることがわかりました。
 また、この安山岩が噴出するときに取り込まれた岩石のなかに、エジリン輝石という鉱物が含まれていて、墓石などに加工されたときに、墨流しのようにみえる特徴があります。
 エジリン輝石は北海道や九州の火山ではみられますが、長野県でははじめての発見で、岩石学的に有名にしている山です。

 「岩石学的に有名な山」なんですね。

謙信馬洗いの池

 この300坪ほどのくぼ地を「池平(いけびら)」といい、かつては池があった。
 池の底には切石が敷いてあると伝え、上杉謙信が軍馬の足を冷やすのに使ったので「謙信馬洗いの池」とも呼ばれていたという。


馬かくし

 山頂の城を守るために、髻山の北山腹に深い堀切がめぐらされている。掘った土を山ろく側へ盛り上げて土塁にしているため一段と深くなっている。
 堀にさえぎられた軍勢は狭い登山道に集まるため、山城の軍勢は登山道の守りに集中できる工夫である。
 上杉謙信はこの堀へ軍馬を隠しておいたといわれ、「馬かくし」と呼ばれている。


 階段の整備された急な坂を登ると山頂です。ここに髻山城がありました。四阿の柱に赤いポストがあり、この中にはらくがき帳が入っています。12月23日に来た人が積雪30cmと書いていました。

髻山城跡(標高744m)

 髻山城は、永禄7(1564)年9月、上杉謙信過信の直江実綱が、堀江宗親、岩船長忠両氏に武田軍の状況を通報させたとする古文書に、「敵もと々り山江、小旗四、五本にて、毎日武具致すよし候」と見られ、武田・上杉氏の川中島の戦いに際し、武田氏の利用が確認される。
 髻山城は、長沼城が築城された永禄6(1564)年頃以降、特に重要視され、その構造から武田氏滅亡後、川中島四郡を支配した上杉景勝とも深く関わったことが想定される。


 東側の眺め。千曲川が流れ、その向こうの小さい山は小布施の雁田山、奥は志賀の山々です。


 南側には善光寺平が広がっています。北国街道は善光寺を出た後、田子池、髻山の東を沿って牟礼宿、そして越後に向かいます。

 北国街道 田子の記事はこちら
http://d.hatena.ne.jp/muukufu/20130928


 髻山744.5m。手前は一等三角点です。


 一等三角点は全国に970基ほどあるようです。一等三角点が設置されている山として、妙高、赤岳、白馬、乗鞍などがあります。おらほの髻山が名を連ねているなんて、ちょっとうれしい。

一等三角点髻山

 小・中学生のみなさん、三角点について学びましたか。三角点は、地球上にその位置を定めて、正確な地図を作製したり、道路や都市の開発などの公共事業を行う際にはなくてはならないものです。三角点には、一、二、三、四等の種類があります。
 この一等三角点髻山には、右記図のような所以があります。明治中期になって、全国を網羅する三角測量が始まりました。が、単一の基点から測量すると、末端では誤差が大きくなります。そこで、全国に14ヶ所の基線場が設けられ、そのひとつが右記の須坂基線場です。各基線上からの測量で隣接する境界で誤差を少なくして、一等三角点網を全国に広げたのです。
 この一等三角点髻山は、平坦な地から標高の高い所へ一等三角点網を広げていく上で重要な役割を果たしました。須坂基線場は「美信三角鎖」といって、長野、岐阜、福井、石川、富山、新潟、群馬の基点になっています。尚、一等三角点髻山は、明治27年10月17日に埋標されました。
 三角点の十字の中央が緯度、経度を表しており、上面が東京湾の平均海水面を零とした標高です。

 一等三角点髻山の位置は
北緯:36度43分13秒3466
東経:138度14分36秒4954
標高:744.46m
 三角点を大切にいたしましょう。


 八角柱の天測点もあります。こちらは全国に48基しかなく、長野県ではここだけだそうです。

天測点

 星(恒星)を観測して座標(緯度・経度)を決める測量を天文測量といいます。天測点は、この天文測量を行う測量標のことをいいます。
 国土地理院では、昭和26年から昭和33年の5年間で、全国に48点の天測点を設置しました。天測点が設置された当時の観天測機器はカールバンベルヒ製70mm子午儀で大変重く、観測台が必要でした。そのため、わざわざ観測台を持ち運ぶこともなく、さらに繰り返し観測にも便利なように天測点が設置されました。
 昭和33年に機器の改良により、軽量のアストロラーベが開発され、昭和34年以降は設置せず、現在までに約450点の三角点上で天文測量を実施しています。
 天文測量によって求められる座標を天文経緯度といいます。公表している三角点の座標は、測地経緯度といいますが、これとは分類しています。東京麻布にあります経緯度原点は、天文測量によって座標(緯度・経度)が決められ、原点を基準にして、三角測量によって、日本全国を網羅しています。
 天文測量と測地経緯度が一致しているのは、経緯度原点だけです。測量は、原点を離れれるにしたがい、誤差が累積します。そのため、天文測量を日本全国で実施することにより、誤差を規正しました。
 ちなみに、天測点の設置数の多い道府県は、北海道8基、京都・兵庫・大分各2基、長野県ではここ、髻山だけです。
 この天測点を大切に致しましょう。
             〈髻山の自然と里山を守る会〉


 マユミの赤い実。


 タヌキかウサギかわかりませんが、小動物の足跡がたくさんありました。


 下山16時。東の山が夕陽に染まっています。


 車窓より。左が飯綱、右が黒姫。東の豊野に向かうつもりが北の牟礼に向かっていました。

 帰りに豊野の「りんごの湯」に寄ろうと思っていましたが、大晦日は休業日だそうです。それで、小布施の「あけびの湯」まで足をのばし、一年の垢を落としました。硫黄臭さが温泉らしくてよかったですよ。


より大きな地図で 髻山平出コース を表示