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一石山神社と日原鍾乳洞

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 土日はバスが終点の鍾乳洞まで行かないので、東日原のバス停から20分ほど歩くことになります。正面に稲村岩が見えてきました。まだ桜が咲いています。

 

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階段の手前にある神明水。

 

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 一石山神社。

 

奥多摩町 日原森林館>一石山神社

 日原の集落より約2km。道路を挟んで鍾乳洞と向かいあう形で鎮座しているのが一石山神社である。祭神天照大神、稜威尾走命。明治維新廃仏毀釈によってできた神社で、それ以前は鍾乳洞に対する拝殿の性格を持つものであった。

 現在の本殿は昭和24年に建立。鳥居は昭和39年に作られたものである。

 かつては上野東叡山寛永寺の所属となり、各地から多数の崇敬者が参詣していたという。 神社の周囲は石灰岩の奇岩が立ち並び、特に梵天岩、つばめ岩、籠岩のスケール感は圧巻。

 

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 お社は小さいです。

 

一石山神社の由緒

祭神 天照大日霊貴尊

    稜威尾走命(いずのおばしりのみこと) 

 当社の鎮座起原に第四十二代文武天皇の四年庚子四月八日役の行者の草創代五十一代平城天皇の大同四年八月二十四日弘法大師の中興 第五十五代文徳天皇の御宇天安元年慈覚大師の再興と伝えられ 古来から一石山大権現と称し 山岳修験者の御祈祷の場として広く各地に知られ 対岸の鍾乳洞は一石山の御窟と言われ御神体として崇敬されてきた。

 昔は神社佛閣荘厳を極めたが天正十八年小田原北条氏滅亡の際兵火に預り、別当□□も散乱し□社を破壊され、神宝佛具ことごとく烏有に帰したが、慶長十七年羽州羽黒山より梵天四十八本及び獅子頭三箇を渡し来り再び繁昌を極めた。その後寛永年間上野東叡山寛永寺の所属となり、輪王寺宮一品親王の御崇敬殊に篤く、附近一帯は輪王寺宮家の御所□となり、寛文十二年には掟書が□達された。当時別当大宝寺社家は原島右京同淡路の両名であった。明示維新の際東叡山の属をはなれ宮家より領地一切を当神社に寄進せられ、社号を一石山神社と改め昭和五年社殿を再建今日に至る。

 

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 右は不思議な形の梵天岩、左は大きな大きな燕岩。

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 沢を下りると日原鍾乳洞があります。

 

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 弘法大師学問所

 

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 2014年4月リニューアルオープンなのですが、こういう光の演出は感心しません。

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下から積み上がっていくのが石筍(せきじゅん)。

 

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 天井から垂下するつらら状のものを鍾乳石といい、反対に盤上に沈殿して成長したものが石筍(せきじゅん)です。鍾乳石と石筍が一本につながったものが石柱です。鍾乳石が1センチ伸びるのに150年を要します。