5月15日は 「葵祭」の日です。
どうも京都の人は自分の住んでいる地域限定のことしか興味がないみたい。「明日(今日)は何処へ行かれるんですか?」の問いに「葵祭です」と答えると「あぁ、明日(今日)でしたっけ?」とのそっけない返事。そりゃ、京都にはお祭りが色々あるだろうけど「葵祭」って「京都三大祭」のひとつじゃなかったの??。3人に問われ3人ともこの答えだったからね。まあぁ、いいか、盛り上がるのは一部の地域の人と観光客だけということで。
お稚児さんは早くもお疲れのご様子。
「牛車(ぎっしゃ)・御所車」殿方の背丈より車輪の方が大きいぞ。
「風流傘(ふうりゅうがさ)」何だか楽しそうだぁ。
そもそも「葵祭」とは
「賀茂御祖(かもみおや)神社【下鴨神社】」と「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社【上賀茂神社】」の例祭。「祇園祭(7月)」、「時代祭(10月)」と共に「京都三大祭」の一つ。古くは「賀茂祭」。500名を超える優雅な王朝風俗の行列【路頭の儀】で知られています。
起源は今から約1,400年前の欽明天皇(在位 539-571)の頃。凶作が続き飢饉に見舞われ、五穀豊穣を願い祭礼を行ったところ雨風は止み、国民も安泰になったことから毎年行うようになった。5月15日に定められたのは明治17年。
「近衛使代(このえつかいだい・勅使の代役)」『源氏物語』では勅使として祭に奉仕する光源氏の姿を一目見ようと車争いが起こるなど、平安当時の祭の様子が描かれている。
見詰めあう二人。
「斎王代列(女人列・にょにんれつ)」が始まった。命婦(みょうぶ)と呼ばれる女人たち。
「斎王代(さいおうだい)」五衣裳唐衣(いつつぎぬもからぎぬ)いわゆる大礼装の十二単(じゅうにひとえ)でお腰興(よよ)に乗る斎王代。斎王には平安時代は内親王が選ばれていたが、今は在京の未婚女性から選ばれるので「代」が付く。
続いては「駒女(むなのりおんな)」と呼ばれるお嬢さんたち。
最後に再び「牛車」が来て行列が終わる。矢を背負い、最後を見守る二人。
どんよりとした空の下、河原町通り沿いの行列しか見てないけど、お昼過ぎから雨が降ってきた。あの衣装でこの藁沓で上賀茂神社まで行ったのだろうか?ちょっと心配。