聖護院

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 聖護院門跡

案内書より

[1]開創
 聖護院門跡の宗派は本山修験宗(山伏)であり、寛治4年(1090)に増誉大僧正(1032~1116)の開基になります。
 修験道は今からおよそ1300年前、役行者神変大菩薩(えんのぎょうじゃじんべんだいぼさつ)(634~701)がお開きになった宗旨ですが、増誉大僧正はその法灯を継がれ、寛治4年に白河上皇が熊野本宮に御参詣の際、御先達として案内し、その功により上皇よりこの地に一寺を頂き、聖護院(聖を護った寺)とされました。また、増誉大僧正は上皇より熊野三山検校職に補されると共に、全国の修験者の統括を命ぜられました。

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 本堂

[2]沿革
 後白河天皇の皇子静恵(じょうえ)法親王が宮門跡として第4代に入寺されて以来、皇室よりの入寺が相次ぎ、明治維新まで聖護院宮として存続しました。
 聖護院は初め今の場所にありましたが、応仁の乱(1467~1477)で焼けて以後、三度の火災に見舞われ、転々とし、現在の寺観は延宝四年(1676)後水尾天皇の皇子、道寛法親王の時に再建復帰したものです。
 天明8年(1788)と安政元年(1854)の御所炎上の時、光格天皇孝明天皇の仮皇居となり、この由緒で昭和11年(1936)に「聖護院旧仮皇居」として史跡に指定されました。


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 宿坊「御殿荘」の朝ごはん。大浴場が4つとひのき風呂が2つある大きな宿坊で、この日は埼玉の修学旅行生たちが泊まっていました。

 御朱印をいただく間、本堂の2階に上がってお不動さんや役行者像などを拝観しました。撮影禁止ですので、興味のある方は聖護院のサイトでご覧ください。
本山修験宗総本山 聖護院門跡

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