真鶴さんぽ(1) 如来寺跡

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 真鶴駅前より、1時間に1本しかない「岩」行きのバスで、旧岩村に向かいます。「如来寺跡に行きたいんですけど、どのバス停ですか?」と聞きましたが、若い運転手さんは如来寺を知りません。運転手さんが「如来寺をご存知の方、いらっしゃいますか?」と客に聞くと、岩のおばあさんが2人いて、「バス停は岩海岸よ」「大和屋さんの通りを入って、郵便局の裏だから」と教えてくれました。「洞窟があって、暗い中に仏さんがいるの。ちょっと恐いのよ」、「昔は子供をつれて行ったものだけど、最近はちっとも行ってないわね」、「恐くなったら、海に出て遊ぶといいわ」、「お寺が好きなら瀧門寺も見ていきなさいよ。うちの側だから」などと次々と情報をくれます。

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 「私が子供のころは、大きいおばあさんたちが集まってお茶を飲んでいた。きっと何かあったのよ。でも、地崩れか何かで危ないからって中止されたんだった。いまはもうきれいになっているけど」と話したおばあさんが岩海岸で降り、「久しぶりだから、お参りしていこう」と如来寺跡まで案内してくれました。この方は石仏が但唱作であることをご存知でした。

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如来寺あと
「新編相模風土記稿」によると、帰命山如来寺は、元和6年(1620年)に建てられ、本尊は石仏の阿弥陀如来であったといわれます。
 のちに瀧門寺の末寺となり、明治年間に廃寺となりました。古い境内には石窟があり、中に石造の十王像や聖観音像、地蔵菩薩像などが安置されています。これらの造られた時期は明確ではありませんが、享保10年(1725年)の如来寺の財産目録に記されていますから、寺が建てられて間もないころと思われます。

 「但唱」も「木食」も出てこない解説ですね。

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 入るといきなり閻魔さんがいます。

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 周りには十王の仲間と奪衣婆。

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 向かいには十王の道具があります。この右には箒とちりとりが置いてあり、おばあさんが、「毎朝おそうじしている人がいる」と言っていました。

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 十王の右にはお地蔵さんがあり、洞窟はさらに奥へと続いています。

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 なで肩のお地蔵さん。肩幅の狭さが但唱仏らしいと言われています。

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 奥の室。右下の暗がりに石仏が2体あるのがわかるでしょうか。

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 大日如来聖観音菩薩です。

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 肩のいかつい大日如来は、但唱の弟子の林貞作と言われます。林貞は芝の如来寺(現在は西大井に移転)の木造但唱像や、京都御室の蓮華寺の石造但唱像を作った人です。

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 聖観音菩薩。

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 「如来寺校割蝶」(瀧門寺所蔵)に「石造観音但聖一夜作也」と書かれており、この石仏の単純な線と丸みから、但唱が一晩で作ったものではないかと言われています。

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 目がなれてきて、ほかにも石仏があるのが見えるようになってきました。

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 如意輪観音

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 奥の間より入口のほうを見るとこんな感じです。洞窟はひょうたん形で、奥の室のほうが広くなっています。ここが「大きいおばあさんたち」がお茶を飲んでいた場所なのでしょう。

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 外にも石仏がたくさんあります。江戸後期のもののようです。

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 洞窟入口から90度南に回ると、丘に上る階段があります。

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 祠がありました。黒猫もいます。

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 さらに上に登ると、西向きの鳥居があり、烏天狗がいます。祠は南を向いていました。

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 烏天狗が祠に祀られているのは見たことがありますが、狛犬のように対になって鳥居の下に置かれているのは初めて見ました。

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 岩海岸に出てみました。海を横断する橋は真鶴道路です。砂浜も、海に浮かぶ小さな島も赤いですね。
 但唱たちの作った石仏は、ここから京都へ運ばれました。

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 海岸には赤い石がゴロゴロしています。

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 噴石丘【ふんせききゅう】(火砕丘)をくり抜いて造られた洞窟。赤く酸化した溶岩の中を見ることが出来る珍しい場所です。洞窟は自然に出来たものを、人が更に掘り進めたと思われます。

おまけ
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