真鶴さんぽ(3) 頼朝ゆかりの地、道祖神

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 岩海岸。

源頼朝船出の浜
 石橋山の合戦 治承4年(1180年)に敗れた源頼朝は、箱根山中やしとどの窟(いわや)などに難をのがれ、謡坂を経てこの海岸から房州(千葉県)に向かって船出し、虎口を脱したと伝えられています。
 船出に協力した村民たちの鮫追船(さめおいぶね)2艘については税が免除されたといわれ、小田原北条氏によるその確認の文書が伝えられています。

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 1時間に1本のバスを待たずに、岩海岸から坂を登って、真鶴駅に向かって歩いていきます。

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 下の道の道祖神。真鶴には道祖神が11か所あるそうです。

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 謡(うたい)坂。

 治承4年(1180年) 石橋山の合戦に破れた源頼朝の一行は、箱根山中を逃れ出て、岩海岸から房州(千葉縁)へ向けて船出しました。その途中、無事を祝い再起を願って土肥実浄がうたい踊ったと「源平盛衰記」にあります。この付近の謡坂という地名はそれに由来するといわれます。

 岩海岸のある旧「岩村」は、頼朝によって「祝村」と名付けられたという話もあります。

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 謡坂から西へ行くと、町役場の前に、大下の道祖神と石工先祖の碑入口があります。

 石工先祖の碑

 平安末期に石材業を始めた石工元祖としての土屋格衛や、江戸城造営の採石に当たって小松山に口開丁場(くちあけちょうば)を開拓した黒田長政配下の7人の石工たちの業績をたたえ、江戸末期に再建された供養碑がこの山の上にあります。
 真鶴町は、こうした人々の開発の努力を受け継いで、いまなお、名石小松石に代表される全国有数の石材産地としての伝統を誇っております。

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 階段を登り結構歩いて石工先祖の碑にたどりつきました。碑には「南無阿弥陀仏」とありました。

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 丸山の道祖神。スーパーの駐車場にあります。

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 貴船神社のお祭り前で、町中に提灯が下がっています。

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 西の道祖神