木食メモ 美濃編

 但唱の弟子である閑唱について調べました。

Dragon Art of Asia - 2012 - Year of the DRAGON: Manryu-Ji temples

 外国の方が、「竜」のつく寺めぐりをしていて、須坂の萬龍寺(Manryu-Ji temples)、そして但唱(Saint Tanshoo)にいきついたようです。

 こちらのサイトで紹介していたのが、美濃の但唱寺です。

 

第14回 霊合山の閑唱上人(かんしょうしょうにん) : 東濃歴史散策

 岐阜の妻木町にある八幡神社の神主さんが、地元の歴史を紹介されています。

霊合山但唱寺(たんしょうじ)という小さなお寺の跡があります。明治時代の初めに廃寺になりましたが、今でも雑木林の中に石積や門の跡が残っていて当時の面影が偲ばれます。

 但唱の弟子の閑唱が建てたお寺で、 現在の岐阜県土岐市妻木町山寺にあったそうです。閑唱はここで没しました。

 こちらのサイトに出てきたのが、笠原の心性寺というお寺です。

 

心性寺の千躯仏 美濃焼のまち かさはら

心性寺は、心性寺中興、皈命山如来寺二世木食閑唱真順の手により建立されました。本堂内には木彫の千躯仏がまつられています。

 土岐市のとなりの多治見市笠原にあるそうです。市指定文化財

 

 再び土岐市に戻りますが、心性寺が妻木の公民館だよりで紹介されていました。

しろやま公民館だより177号 下郷妻木家 その3(PDF)

 妻木城主が笠原を通られたときに馬が一歩も動かなくなったので掘ってみると、光り輝く仏様が現われたので、お堂を建てておまつりしたのが心性寺の始まりだということです。

 心性寺の住職だった閑唱は、八幡院の住職も兼ねていて、こちらのお寺にも千体仏を刻んでお堂を建てました。八幡院は上野寛永寺末寺でしたが、明治9年に廃寺になりました。お堂は須後に観音堂として移築されました。

公民館だよりをいくつか読んでみて、こんなことがわかりました。

 ・八幡院は八幡神社の境内にあった。

 ・八幡院は明治6年に廃寺になり、本堂は崇禅寺に移された。

 ・八幡院の庫裡はしばらく妻木小学校の校舎として使われた。小学校は明治9年に貴法院跡に移転した。

 ・八幡院の十王堂は、明治8年に移転され須後観音堂となった。

 

崇禅寺 (土岐市) - Wikipedia

 臨済宗妙心寺派のお寺。1354年(文和3年)、初代妻木城主土岐頼重が菩提寺として開山したそうです。

第49回 妻木の崇禅寺 土岐市妻木町 (2002/6月掲載): 東濃歴史散策

 本堂と開山堂のあいだに、八幡院の本堂が観音堂として現存しているようです。

 

須後観音堂例祭 (土岐市妻木町) 8月16日 - いっちゃんの玉手箱

 8月16日が例祭だそうです。

 

 

広告を非表示にする