木食メモ 高山編

  閑唱は現在の高山村にもいました。

黒部遺跡発掘調査報告書(1988)

 

大日寺

p.17 黒部区の文化財大日寺

 大日寺天台宗万竜寺(須坂市亀倉)の末寺で、但唱上人より第2世の閑唱上人が黒部に隠居寺として開いたのが始まりといわれる。閑唱は修験者でもあり、当地では立厳の滝で修行したと思われる。もとより神仏習合のことであるから、大日寺住職が大竜権現の神事を行っていた。寺は正保(1644)年中の創建と伝え、天保2(1831)年の宗門帳によれば、大日寺は村持寺になっている他、住職の世代等は不詳である。明治6年には廃仏毀釈等により、無住・無檀の廃寺となり、仏像や仏具は本寺に、現公会堂敷地の境内5畝24歩の土地国有地になった、明治9年1月7日、区民の払い下げ運動により権利金1円26銭を国へ払い、黒部区の所有地となった。しかし、明治10年5月7日にはローソクの不始末から、大日寺庫裡、親鸞堂、天照大神社・民家3軒を全焼するという大火が起こり、明治14年5月になって湯元儀兵衛の土地寄進により、本堂・庫裡・仏堂・親鸞堂が再興された。

 

大日如来

 大日寺縁起によると、「大日寺大日如来は、千数百年前の行基の作と言われる。源頼朝上野国吾妻の砕田宗吉とともに裏倉山に登り、下って如来を仰がれた。砕田はこの里に残った。慶長2(1597)年、帰命山二世木食閑唱上人が隠居寺として開いた。承応3(1654)年、五世真長上人開基。古くよりいわれる縁起はこのようである。

 明和8(1771)年に初めて本堂を建立する。数代の住主の念願がかなったのも大日如来の仏徳であり、大日寺初開の帰命山(万龍寺)二世閑唱上人功徳は大きい。」とのことだそうです。