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須走浅間神社

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 御殿場線裾野駅あたりからは、辛うじて富士山の裾野が見えましたが、この先、御殿場に近づくにつれ、雲の向こうに隠れてしまいました。

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 御殿場駅の立ち食いで名物「みくりやそば」をいただきました。つなぎに山芋を使い、出汁は鶏肉で、具は鶏肉、しいたけ、にんじんが基本だそうです。甘めのおつゆでした。

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 駅前にある富士火山弾。あわわ、こんなのが降ってきたら、ひとたまりもありません。

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 富士山五合目行きのバスで須走に向かいます。目指す須走浅間神社の近所に東富士演習場があるため、自衛隊の車と何台もすれ違いました。

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 須走浅間神社。但唱はこの地に阿弥陀堂を建て千体仏を納めました。明治初期に千体仏が里に移されているのは知っていますが、まずはこちらにあいさつです。あとで大雲院に行くつもりです。

須走浅間社地阿弥陀堂小山町観光協会

千体仏像(但唱作)大雲院に現存

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 信しげの滝

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 楼門と獅子

楼門(御神門)
 二階建ての随神門を特に楼門と呼び上層の周囲に高欄付きの縁を回らしている。御門の神様である櫛岩窓神(くしいわまどのかみ、向かって右)・豊岩窓神(とよいわまどのかみ、向かって左)が随神として配神されている。貞享2(1685)年、小田原城主の稲葉丹後守が鳥居と共に楼門を修繕したと伝えられる。しかし、宝永の大噴火(1707年)により社殿と共に大破し、幕府への再建の願いが出されている。現在の楼門は、明和4(1767)年に随神が寄進された当時のものと考えられる。

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 櫛岩窓神

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 豊岩窓神

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 長寿亀石

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 社殿。大きな杉には、まわしのようにお御籤が結ばれています。

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 東口というのは須走口のことです。

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 ガラガラが3本あります。富士山に登る人はみんなお参りするから、土日は混みあっているんでしょうね。

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 昔からの富士講の碑がたくさん建てられています。

富士講と講社碑
 富士山は、昔から信仰の山として登拝され、修行の場であった。人穴(ひとあな)で修行を重ねた長谷川角行は江戸に出て、富士の信仰をといた。その後、食行身禄(じきぎょうみろく)がさらに教えを広め、富士山七号五勺に入滅の後、江戸では「八百八講」といわれるほど、富士講が盛んになった。須走は富士信仰登山の登山口として、古くから栄えてきた。

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 須走登山口側の鳥居は「不二山」となっていました。

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