飯綱・戸隠・鬼無里 いいときエリア ④ 「松巌寺」
美しくも切ない「鬼女紅葉」の物語…。
お堂の隣の畑では、住職さんが耕運機で野良仕事。のどかだなぁ、鬼無里の古刹「松巌寺」に着きました。能や歌舞伎にもなった「紅葉狩」。その「鬼女紅葉」を祀る寺。さて、その伝説とは…。
時は平安時代、もと官女だった紅葉は源経基と不義の恋をはたらいた罪で都を追われ、この地に流されてきました。里の長は何かと京を懐かしむ紅葉の心を察して、この地に賀茂川、東京、西京、高尾、二条、四条などいずれも平安の都から名をとった地名をおき、紅葉を慰めました。しかし紅葉は、やがて悪者達に担がれて盗賊の首領となり荒倉山に移り住み、旅人を襲って豪勢な暮らしをするようになりました。人々は紅葉を鬼女と呼ぶようになり、その噂は遠く京の都にまで知れ渡りました。朝廷は平維茂に鬼女征伐を命じ、苦戦の末、ついに紅葉狩りを果たしたといわれています。
それまで水無瀬と称していたこの地は、以来鬼の無い里、すなわち鬼無里といわれるようになったということです。
紅葉ちゃん。裏に回れば鬼女紅葉。般若の面がきいてます。
堂内の天井絵。内部も立派です。
紅葉観音像と守護仏である地蔵尊。
曹洞宗 凌雲山 松巌寺
安和年間(968-969)平維茂が紅葉の霊を鎮めるために、紅葉の守護仏である地蔵尊を安置し、鬼立山地蔵庵と称したのが始まりといわれている。その後、慶長3年(1598)松巌芳祝が入山し、現在の寺号「松巌寺」と改めた。
紅葉ちゃんのお話はここまで。私達にはもうひとつの目的があったのだ。それは写真左下のショーケースの中。
「300年前の仏たち 木食山居 作」
手のひらサイズの3体。
鬼女紅葉之墓。