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伊那谷の但唱(1) お地蔵さん

 駒ヶ根市のサイトに但唱作のお地蔵さんが紹介されています。駒ヶ根市は西に中央アルプス、東に南アルプスがそびえ、諏訪湖を源流とする天竜川に沿って南北に広がる伊那谷にある町で、その名のとおり駒ケ岳のふもとにあります。

地蔵平のお地蔵さん

地蔵平の地蔵菩薩

 駒ヶ岳線のバス停の大石に隠れるように地蔵尊があります。しらび平行のバスの中では、木食上人(もくじきしょうにん)が石のノミで作ったものであるといわれており、……
 

 帰命山地蔵平には草庵があったとされていて、地蔵像を彫ったと伝えられる上人は、称号を木食但唱、号を満厳と称し、天正末(1592)頃、摂津国(現兵庫県)に生まれ、13歳の時父を失い、18歳で仏門に入り、佐渡に渡って難行苦行して身心を鍛えました。その後信州に入り、中南信の地を巡業して石仏を作りました。赤穂地区には安住寺の地蔵尊、地蔵平、上赤須観音堂(向垣外の地蔵堂)の地蔵尊像の3ヶ所が残っています。

 駒ヶ根市誌によると「寛永8年末当所大田切山に山居し給うに、近郷と争論が起こり修行のさわりと思し召し上穂の傍らへ下らせ給」とあり、倉田氏(現中割八幡屋号大南)の寄進により安性寺を創立しています。

 地蔵平を通るバスの終点、しらび平というのは、千畳敷カールに上る駒ケ岳ロープウェイ乗り場があるところです。但唱上人は「大田切山」に住んでいたようですが、太田切川と大田切橋はあっても、国土地理院の1/25000地図にすら大田切山という表示がありません。地元の人ならわかるのでしょうが、駒ケ岳の手前の山の宮田村の方ではないかと思います。大きな川と大きな山の間にある人里に近い山というのが北信濃の亀倉を思わせます。

安性寺のお地蔵さん

帰命山安性寺

 歸命山安性寺は、寛永8年(1631)、春日街道傍八幡原に木食但唱上人により開創されました。
 本尊は、但唱上人の手に成る木造阿弥陀如来座像(四尺大)です。童顔で頭は大きく、体全体に黒色をなし、笑みをたたえた相貌は慈悲の面影を感じさせ、上品下生印(じょうぼんげしょういん)を結んでいます。また、境内に石の地蔵尊を作り安置しました。この地蔵尊は霊験あらたかなことで有名であり、現在は堂内に移されています。
 但唱上人は、安性寺開創後、弟子の閑唱に寺を任せ、他地の処々に堂宇を建立して信仰を広め、寛永18年(1641)61歳にて江戸芝五智如来寺にて往生したといわれています。
 明治13年(1880)、安性寺は火災にあいましたが、翌年再建され、その後昭和57年(1982)地区民の厚き信仰と要望に応え、安楽寺住職をはじめ一致協力により今の本堂が再建され、今日に及んでいます。

 不思議なことに、市のサイトはこれだけご本尊の説明をしながら写真は載せていませんので、こちらの記事でご覧ください。
 安性寺ご本尊、東京へ行く


木食但唱と地蔵菩薩像(石造)

 但唱は、大田切山から下って上赤須の向垣外でしばらく修行を続けていましたが、中割の倉田氏に招かれて寺地の寄進を受け、安性寺をひらきました。この寺は明治年間に焼失し、後に再建されましたが、当時の但唱の石造地蔵菩薩が残っています。


 木食但唱作の丸彫地蔵で、墓地の入口東側に静かに安置されています。赤い帽子と赤布に身を包まれた素朴な顔と姿は私たちの心を癒してくれます。この寺には本堂前と併せて2体もあります。

 駒ヶ根市のサイトは但唱仏が2体と紹介しているのですが、本堂前の1体について「子育て地蔵(但唱作)は安永7年(1778)と刻字されていて」と説明しています。うーん、残念。但唱が亡くなったのは1641年ですから、こちらは但唱仏ではなさそうですね。

向垣外のお地蔵さん

向垣外の地蔵堂

 上赤須上穂沢川万世橋近く西南の小高い所に、瓦屋根のお堂があります。お堂の中には木食但唱作の、石鑿(いしのみ)をもって刻んだと言い伝えられている石仏地蔵菩薩が安置されています。


 但唱が石像を刻むときに使用したと伝えられている石鑿、その他遺品です。念仏を唱えながら作業していた時の木魚や鈴(りん)なども一緒に、お堂近くの田辺氏が大事に保管しています。

 以上が駒ヶ根市のサイトにある但唱作のお地蔵さんの紹介です。

安楽寺

 鶏頭山安楽寺
 1880年に安性寺が火事にあい、再建に尽力したのが安楽寺でした。守屋貞治作の石仏があるので有名なお寺のようです。

 開山還夢(げんむ)上人は下総佐倉の出身で、鎌倉光明寺で修学したといわれています。相次ぐ戦乱に人心は荒び、仏を敬う心すら衰えようとしていた戦国時代に、伊那谷に初めて御念仏の教えを伝え、上穂の地に安楽寺を創建しました。天文2年(1533)4月8日のことです。

 1533年ですから但唱の一昔前の時代ですが、気になるのは鎌倉光明寺です。但唱の師匠である弾誓上人(1552-1613)は、法国光明仏と呼ばれ、諏訪・伊那で念仏を広めました。また、但唱は1625年に駒ヶ根より少し南にある飯田の光明寺に千体仏を奉納しています(年表)。
 なお、 安性寺ご本尊、東京へ行くの記事にあるように、最近、安楽寺副住職が安性寺の住職になったそうです。たいへん近しい関係にあるお寺のようです。

如来

 佛性山如来寺
 市のサイトは佛性山如来寺も紹介しています。但唱との関係には触れていませんが「如来寺」の名は気になります。
 「如来寺は開山元和4年(1618)、創立は一説に慶安元年(1648)といわれています」。安性寺が開かれたのは1631年ですから、但唱がいた頃と時代は合致しています。誰が寺を開いたかという説明はありませんが、寺宝の阿弥陀如来立像を作った木食山居(1657〜1724)については、「晩年は大町市弾誓寺(現在廃寺)6世住職となりそこで没しています」とあります。弾誓寺! 但唱の師匠である弾誓上人の名をいただくお寺です。如来寺が木食一派の寺であることは間違いないでしょう。また、江戸の芝にあった(いまは大井に移転)如来寺は、開山の1636年当時は「帰命山佛性院如来寺」という名でした。佛性院に佛性山! もう、但唱が佛性山如来寺を開山したとしか思えません。

 ところで、「大町市弾誓寺(現在廃寺)」というのは本当でしょうか。大町市観光協会のサイトに弾誓寺の案内がありますけど……
 



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