上野の寛永寺
東叡山寛永寺
天台宗関東総本山である寛永寺は、寛永2年(1625)、二代将軍の秀忠に上野の土地を寄進され、慈眼大師天海大僧正(じげんだいしてんかいだいそうじょう)によって創建されました。ご本尊は薬師如来です。
京都御所の鬼門を守る比叡山延暦寺にならって、江戸城の鬼門に、建てられ山号は東の叡山である東叡山、寺号も時の年号を勅許を得て寛永寺としました。徳川将軍家の祈祷寺として出発し、のちには菩提寺となり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠ります。もちろん増上寺からは抗議されました。それで、交互にお弔いをしましょうということになったようです。
徳川歴代将軍の墓所を整理しておきましょう。
- 増上寺
2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂
4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定
- その他
初代家康(日光東照宮)、3代家光(日光山輪王寺)、15代慶喜(谷中霊園)
家康は日光で権現になりました。家光はじっちゃんの側がいい!と日光にいます。慶喜は将軍をやめてからも皇室にはよくしていただいたからと、仏式ではなく神式で埋葬されたそうです。
天海は吉野の桜を取り寄せて上野の山に植え、不忍池には蓮を植えて放生池としました。さらには、不忍池の辯才天(近江竹生嶋)、清水観音堂(京都五条坂清水寺)、祇園堂(京都八坂)、大仏(奈良東大寺)を配置して、上野に一大行楽地を建設したのでした。(大仏さまは第2次世界大戦時に供出されてお顔のみが残っています)
ご朱印をいただくと栞がはさまれていました。