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弾誓派のお寺を探す

 弾誓派関連のお寺、とくに浄発願寺の末寺について、参考になるサイトを集めてみました。

石仏散歩
 サイト運営者は東京在住の方だそうですが、石仏めぐりをされている中で木食僧に関心をもち、佐渡や信州などを訪れています。

41 それは佐渡から始まった―木食弾誓とその後継者たち①
常念寺(佐渡市河原田)、檀特山、岩谷
参考図書リストあり

64 それは佐渡から始まった―木食弾誓とその後継者たち②
虫倉山、弾誓寺(大町市)、雲照院(松川町)(廃)、百瀬の昌念寺(松本市寿中の正念寺)、西善寺(松本市和田境)、唐沢阿弥陀寺諏訪市)、万治の石仏=弾誓の50回忌供養塔(諏訪)、箱根塔ノ峰の阿弥陀寺、一の沢浄発願寺、古知谷阿弥陀寺(京都)

68 佐渡の弾誓(たんせい)と浄厳名号塔
光明仏寺、山居の池、弾誓寺

73 それは佐渡から始まった③―木食弾誓とその後継者たち(但唱編)
如来寺、須坂市奇妙山平の岩窟、万竜寺(須坂市亀倉)、佐渡旧佐和田町の常念寺の千体仏、高山寺(長野県小川村)の千体仏、真鶴の帰命山如来寺(廃)、京都御室蓮花寺の石造五知如来

佐渡広場
佐渡の本間さんが運営する、佐渡のあらゆることに詳しいサイト。弾誓派について詳しく、古文書を掲載されておられるのがありがたいです。佐渡だけでなくあちこち取材にお出かけです。

佐渡の寺院25:常念寺
弾誓の師行然

佐渡の寺院30:弾誓寺
長音、但唱、弾誓、浄発願寺、檀特山

佐渡の寺院35:光明仏寺
弾誓の修行場、山居の池

佐渡の寺院37:夷正覚寺
常念寺、弾誓、但唱、長音

佐渡の寺院38:岩谷口観音
岩屋岩窟、弾誓、但唱、長音

佐渡の寺院39:真更川西光庵

③念仏 
2)お堂の念仏の終わりに唱えることば
「南無地蔵大菩薩さん お大師さん たんせい(弾誓)上人さん 浄厳上人さん ちゅうそうかいさん(中興開山) 笠掛澄心さん 山居のにょれい(如来?)さま 上山田の善兵衛さん 長谷の遍照坊さん 1日から三十日(みそか)までのご精霊さま なんまいだー なんまいだー」

係わりの地67:秋田(浄願寺、帰命寺)

④「木食長音師行状」
 師諱は長音唱楽と号す、生国姓氏を知らず、歳甫(はじ)めて18出家し、木食行但唱に信州虫蔵窟に従い枯を拾ひ澗を探る24年一日の如し、但唱の師を弾誓と曰ふ、嘗て佐州檀特山に栖み木食行を修むる年あり、此を木食行の始祖とす。
 但唱武州武蔵国]芝村の如来寺を開き、移住するや師は亦一寺を信州仁科郷に創め皈命山弾誓寺と号す、師に別れて留住す、又松本を過て念来寺を建て年を越て佐渡に航し祖師の遺跿を拝し、遂に相川に飛錫し、一刹を靭め、又皈命山弾誓寺と号す。自刻の阿弥陀如来薬師如来、観音の坐像各6尺、誕生仏1尺5寸、涅槃像5尺を安置す、時に寛永13年なり、此に居る数年但唱の訃至る、乃ち千里表に走りて如来寺に至り、賻〇裸将畢て後窃に意ふ、高徳凋落し末葉日に衰ふ、他の排撃に逢ひ独立する能はず、終に祖業の墜ちん事を恐る、人の因て事を成す、耻なきに非らずと雖も猶祖業の墜つるに愈る乎と、是に於て東叡山(天台宗寛延寺)生順僧正に就き、慈眼大師に謁し、祖師伝来の念仏行を〇叙し、世の属末たらんと請ひ、且つ天台宗の挑摘せさるを哀祈す、大師深く憫賞し許可して特に観無量寿院疏阿弥陀経義疏浄土疑論書を撰ひ以て其教を翼宣せり、僧正も亦勧奨し師をして目黒廃地を拓き、涅槃山安養院を建てしむ、同志数輩と不断念仏を修す、秋田に往く、佐竹公特に崇敬を加へ新に寺を創め、田を施し帰命寺と曰ふ、此に居り延宝6年8月16日に至り捨身入定し法如生葬す、寿79

 
弾誓旧跡 - SHINDEN
弾誓上人の修行の地リストの地図も役に立ちそうです。

浄発願寺の末寺

浄発願寺>浄発願寺の歴史

 浄発願寺は、上野の寛永寺学頭であった淩雲院(淩は凌のにすいをさんずいに)の末寺として大いに勢力を誇り、伊豆、相模、武蔵、信濃佐渡の諸国に末寺十八を有するに至りました。

小山一成「翻刻人穴版『冨士山人穴双紙』」
 浄発願寺で修行した光侎(人偏に米)行者空胎について書かれた5ページほどの論文(PDF)です。浄発願寺関連の部分を引用します。

 浄発願寺は上野寛永寺凌雲院末であり、天台宗弾誓派の本山として、寛永寺護国院・釈迦堂等常念仏には役僧一、所化七を送り、江戸城帝鑑間伺候を許された寺であった。十六万五千余坪の山内には、本堂・経堂・閻魔堂その他諸堂宇が立ち並び(『相模風土記稿』)、末寺として、天保期には、地元相州に常照庵(大住郡日向村)・弾法寺(愛甲郡七沢村)・観音寺(同)・清水寺(大住郡長沼村)・如是庵(高座郡一の宮)他、豆州に普門庵(田方郡錦田村)・光明寺(未詳)、武州に浄業庵(埼玉郡今井村)・安養院(江戸目黒)、甲州に竜石寺(郡内犬目宿)・宝樹院(山梨郡三富村)、遠く信州に、念来寺(松本)・正念寺(松本在寿村)・西善寺(同和田村)・弾誓寺(大町)、佐渡に帰命山弾誓寺(相川)その他を要する一大寺院であった(同寺文書)。

郡内には浄発願寺末の竜石寺があり、(…)範囲を甲州全域に広げれば、木食弾誓上人ゆかりの寺院は他にもあった。郡内猿橋の法国山阿弥陀寺山梨郡三富村の浄発願寺末宝樹院、八代郡下野原光国寺、同郡剕沢(剕は非にりっとう)阿弥陀寺等である。

弘化4年(1847年)彼は突如上野寛永寺の命により、同国郡内甲州街道犬目宿、浄発願寺末白滝山竜石寺住職となり、(…)嘉永2年には、本寺なる一乃沢浄発願寺住職として再び相州に赴くこととなったのである。

相模の寺

常照庵(大住郡日向村)

新編相模国風土記稿(大住郡)

天台宗 本尊:地蔵 本寺:浄発願寺

七沢観音寺(愛甲郡七沢村、現厚木市

七沢観音寺

当寺院は、奈良時代後期の元正天皇在位715〜723の治世に、創建されたと伝えられる8世紀頃の名刹ですが、その後野火により全てが焼失してしまい、定かではありません。後に元禄初期頃、村民の協力により再建され、浄発願寺(じょうほつがんじ)の木食空誉弾阿上人によって、天台宗の寺として、開山したと伝えられます。伊勢原市日向一ノ沢の浄発願寺の末寺でもありました。

 ご本尊は馬頭観音で、お祭のときには草競馬を開催していたそうです。

七沢神社別当禅法寺(廃)(愛甲郡七沢村、現厚木市

本地垂迹資料便覧>七沢神社>山王・八幡・浅間

浅間社
木食空誉弾阿、此辺山中に(字一ノ沢と云所なり)在て専ら浄業を修し、高徳の聞えあり、 貞享四年当社の霊夢を蒙て当山に移り、禅法寺(別当なり)に住し、且神託に依て山を大応嶽と名づけ、自ら勢至の像を彫刻して本地仏となす、

△勢至堂 本地仏なり(長六尺空誉作)
△仁王門(像は空誉作、長六尺五寸)
別当禅法寺 鐘掛山尊聚院と号す、天台宗(大住郡日向村浄発願寺末

 禅法寺は廃寺となっていますが、仏像などは上記観音寺に移されています。

 かつての七沢浅間神社別当寺の禅法寺は、鐘ヶ嶽中腹にあり、別名を鏡掛山尊聚院禅法寺と号し、中興開山の木食彈阿上人の手による勢至菩薩がありました。
 禅法寺は、明治初年神仏分離令により、廃寺とされ、仏像等は同宗の観音寺境内に移され、今も大切に勢至堂本尊としてお祀りされております。この勢至菩薩は木食上人自らが彫刻された本地仏であり、仏像胎内には千躰仏がお経とともに、納められております。

清水寺(大住郡長沼村、現厚木市長沼)

新編相模国風土記稿(大住郡)

清水寺  宗派:天台宗 本尊:弥陀  本寺:日向村 浄発願寺

景観寺(高座郡寒川町)

さむかわウォーキングコース寒川観光協会

 天平宝字1年(757)に創立されたと伝えられ、新編相模国風土記稿に「窪田山と号す。天台宗大住郡一之沢浄発願寺末本尊十一面観音。鐘明和七年(1770)八月鋳造」とあります。

 寒川町は伊勢原市の南東に位置しており、全国で2番目に人口が多い「町」です。この町が市に合併したりすると、高座郡は消えてしまうのだそうです。

(廃)如是庵(高座郡寒川町)

相模国高座郡南部地蔵二十四札所

第9番 如是庵(廃)不詳 天台宗 寒川町一之宮3-29付近 大住郡一之沢・浄発願寺末

御詠歌「ふたつなく 又三つもなき 一之宮 すぐに 仏の道にこそあれ」
 如是庵(にょぜあん)は近世初頭に浄発願寺の末寺として創建されたが、一時無住の時代があり、18世紀中頃、禅阿によって、再興されたものの、幕末もしくは明治初期に廃寺となったと推定。宮山・根岸共同墓地に八基の歴住僧侶の墓がある。海軍官舎建設の際に移転されたのだとか。

伊豆の寺

(廃)光明院蓮華寺(田方郡大竹村、現函南町

伊豆新聞>伊豆の仏像を巡る(51)函南町大竹観音堂・千体観音
(千体仏の写真あり)

 「法国山光明院蓮華寺縁起」によれば、浄発願寺四世・空誉木食上人の弟子を名乗る木食蓮誉華空法阿[れんよけくうほうあ](以下、華空と略す)が大竹村(現・函南町大竹)に来たのは、1673(延宝元)年であったという。
(略)
華空は、大竹が弾誓上人所縁の地と知って大竹に留まり、阿弥陀如来像を造立、1681(天和元)年には本堂と庫裏を建立し、法国山光明院蓮華寺を再興したという。
(略)
華空が再興した光明院蓮華寺は明治に廃絶したが、彼が刻んだ千体観音は、蓮華寺の堂宇のうち唯一残る観音堂に納められ、300年の星霜を経て現在に伝えられた。現存するのは743体。いずれも桧の一木造で、総高12センチ前後の立像である。

しずふぁん>県内イベント>第1回企画展 大竹千体観音像展(函南町)

 かんなみ仏の里美術館開館1周年を記念し、伊豆で唯一現存する千体観音像「大竹千体観音像(函南町指定有形文化財)」を展示公開します。函南町大竹区には、かって「法國山公明院蓮華寺」 というお寺がありました。今回展示される「大竹千体観音像」は、この廃蓮華寺に祀られていたものです。
『法國山光明院蓮華寺縁起』(大竹・杉山家文書)によれば、この千体観音像は相州一之沢浄発願寺に属していた木食僧・蓮誉華空法阿(れんよけくうほうわ)が天和三年(1683年)から貞享四年(1687年)にかけて制作したとされています。

 

 展覧会のポスター画像がありました。2013年4月から6月に開催したようです。

普門庵(田方郡錦田村)

三島市立図書館>資料詳細>『ふるさとの街道 箱根路−三島道石畳を歩く』

 本の目次より。寺のあった場所がわかるかもしれません。

塚原新田から松並木(塚原新田・普門庵伊豆横道三十三番札所・福島正則の力石・宗福寺伊豆八十八所霊場・賽の神・宇治塚・箱根路の碑萬霊寺・錦田一里塚・松並木と初音ヶ原).

武州の寺

安養院(武蔵国荏原郡目黒村、現品川区西五反田

ひかり陵苑 臥龍山安養院

 臥龍山 安養院は、平安時代天台宗第三世慈覚大師によって開かれた由緒ある寺院です。中興開山は唱岳長音木喰上人と申し上げます。 寛永元年(1624年)に再建され、金色八尺の寝釈迦様 (涅槃像)を安置供養されました。 その像を御本尊としたことで、「寝釈迦寺」と呼ばれ、江戸の昔より長寿とぽっくり信仰で賑わっています。

浄業寺(埼玉郡今井村、現熊谷市今井)

熊谷市文化財日記>今井の廻り地蔵(動画あり)

 「今井の廻り地蔵」は、江戸時代後期に信州の和尚がこの地蔵尊を背負って来て、逗留したことに始まるとされています。毎年1月と8月の年2回、浄業庵(じょうごあん)に祀られている地蔵尊を担いで、今井地内の各小字を廻り、地蔵尊に念仏を唱えて子育てや家内安全、長命息災を祈願する行事です。地蔵の製作年代は不明ですが、背負う厨子には嘉永5年(1852)と記されています。

甲州の寺

宝樹院

山梨市>見どころ>史跡・文化財【市指定有形文化財】木造阿弥陀如来立像

 山梨市三富上柚木220番地
 宝樹院は、『甲斐国志』によれば、天台相州一尺浄発願寺ノ末とありますが、現在は無住で本像をまつる一堂が残るのみであり、地区の人々により守られています。

信州の寺

念来寺(松本市

念来寺あとに鐘楼だけのこる(松本かるた地図)

 天台律宗浄発願寺の末寺である光明山無量寿院念来寺は、もとの山家やまべ小路に建てられました。時は、江戸時代のはじめ元和五年(一六一九年)木食唱嶽長音上人を開山とし、開創の際、時の領主戸田氏から東西三十五年間、南北五十二年間の寺地が寄進され、明治となって廃寺に至るまで、念仏の道場として、代々高僧が住持しました。中でも、六世の空幻明阿上人は、同宗の本山相模国一の沢の浄発願寺の住持を兼ねていましたが、念来寺内に、阿弥陀如来の坐像(御丈七尺)、その脇侍の観音菩薩勢至菩薩の立像をつくりましたが、その丈たけは二メートル近い大仏で、他に延命地蔵尊(御丈一尺)があります。明治廃寺のあと、末寺である松本市和田の境部落の西善寺に移され、ここに保存されています。

城下町探訪 念来寺跡

 信濃では、虫蔵山・大町・松本・諏訪・飯田に足跡や関係寺院が残るといいます。大町には「弾誓寺」松川村には「雲照院」松本には「念来寺」「正念寺」(松本市寿)諏訪には「唐沢阿弥陀堂」飯田には「阿弥陀寺」などです。
 彼が開いた浄発願寺は、岩窟から始まったといいますが、4世空誉のときに幕府や尾張藩などと関係を深め発展し、伊豆・相模・武蔵・信濃佐渡に18の末寺を持つようになります。松本の念来寺もその有力な一つでした。念来寺の住職には浄発願寺の住職だった者が何人もいます。

正念寺(松本市

常念仏の道場として、学校として、役場として親しまれた寺(信毎販売 ふるさと文化財

重要文化財阿弥陀如来半跏像および両脇待立像
正念寺◆松本市寿中1-28-7

 仏神山正念寺は天台宗弾誓(たんせい)派の寺院で、神奈川県伊勢原市にある天台宗無常山浄発願寺の末寺。開基は、慶長3年(1598)、開祖は弾誓上人(1551〜1613)である。

西善寺(松本市

「長野県民俗の会通信」238号信濃民俗ノート 個人のサイト)

 明治初年の西善寺は、天台宗弾誓派の本山である相州浄発願寺の末寺だったが、いつのころからか同派の念来寺の隠居寺となっていた。松本藩の廃仏毀釈政策で多くの寺院が取り壊されるなか、幕府領だった和田境の組寺西善寺に仏像や什物が難を逃れ、地元を中心とする檀信徒会の人々によって今日に受け継がれている。

弾誓寺(大町市

塩の道千国街道 大町東急リゾートタウン蓼科) 

 仁科氏の滅亡後、佐渡から大町を訪れた弾誓上人が再興し、江戸寛永寺、箱根浄発願寺の末寺として栄えた。境内には県宝に指定されている平安時代聖観音菩薩立像など、わずかに往時の反映を偲ばせている。

 大町市のサイトや観光協会のサイトにも弾誓寺の記事はありますが、仏像など文化財の紹介をしており、「浄発願寺の末寺」と書いているのはこちらのサイトだけのようです。

佐渡の寺

弾誓寺

佐渡ヶ島がっちゃへご「ガシマ」 )

 相川町四丁目にある。山号の帰命山は、この寺を開基した木食長音の師但唱に依るという。相模国浄発願寺の末寺で、寛永十三年(一六三六)の開基と伝える。弾誓二世の但唱は、作物聖として大仏を刻んだが、その弟子長音が作った阿弥陀如来の座像は六尺二寸、台座から後光まで一丈五尺で「此の如き巨像は、当時佐渡一国中に有らざりしかば、世に当寺を大仏(おおぼとけ)と称し来れり」とある。

佐渡広場>佐渡の寺院30:弾誓寺

帰命山 弾誓寺。開山は木食長音で1636年(寛永13)、開基は長音の師 但唱(弾誓二世)。相模国浄発願寺の末寺

係わりの地67:秋田(浄願寺、帰命寺)

①「佐渡国寺社境内案内帳」
 相川4丁目、帰命山弾誓寺、当寺相州相模国]発願寺末寺、開基長音木食、寛永13年[1636]建立、長音の弟子清眼当寺本尊を送る。各々丈け6尺2寸、之れにより世に当寺を大佛(おおぼとけ)と云ふ。長音は羽州秋田帰命寺にて遷化、清眼は元禄3年9月25日遷化。

浄発願寺の末寺かどうかは不明

(廃)帰命山如来寺(真鶴)

旅と犬と史跡巡りと>鎌倉時代を歩く 弐>真鶴の岩浦周辺 瀧門寺と如来寺の跡

但唱の建てたお寺で、海辺の洞窟に石仏などが残されています。