目黒の安養院
次は目黒の安養院です。但唱の弟子の長音が再興した寺で、かつては浄発願寺の末寺でした。
東急目黒線不動前駅の商店街を抜けると広い桜並木がありました。
天台宗東京教区>臥龍山能仁寺 安養院
当山は臥龍山安養院能仁寺と申します。本尊様は釈迦牟尼如来(涅槃像)副本尊(脇侍)は如意輪大宝観世音菩薩・金剛蔵王童子菩薩であります。
当山は平安朝の初め、天台宗第三世慈覚大師に依って開かれました。
中興開山は唱岳長音木食上人と申し上げます。寛永元年(1624年)に再建され、自ら彫刻した阿弥陀如来像を安置して千日の不断念仏行を勤まれました。更に上人は自作になる一丈六尺の寝釈迦(涅槃像)を安置供養されました。
御開山長音上人は唱岳と号され、信州虫蔵の巌窟で草衣・念仏の行に勤まれること24年、木食・念仏の行を積まれ、あまたの仏像を刻まれました。晩年は、羽州秋田念来山帰命寺に止まり、79歳で地中深く穴を掘り、その中に棺を入れて、自ら棺の蓋を閉じ、鐘を叩いて念仏を唱えながら捨身入定なされ、静かに極楽に参られました。
上のサイトには、安養院本堂としてこんな写真が載っています。モダンすぎる……
臥龍山 安養院は、平安時代に天台宗第三世慈覚大師によって開かれた由緒ある寺院です。 中興開山は唱岳長音木喰上人と申し上げます。 寛永元年(1624年)に再建され、金色八尺の寝釈迦様 (涅槃像)を安置供養されました。 その像を御本尊としたことで、「寝釈迦寺」と呼ばれ、江戸の昔より長寿とぽっくり信仰で賑わっています。
寝釈迦でぽっくり。穏やかな感じです。
入口がわからず、お墓の方から入ってしまいました。古い石仏のようです。
南無阿弥陀仏の名号塔
観音堂。450年前に栃木の定願寺より寄進されたものだそうです。声をかけると作務衣を着た西アジア系の方がでてきて「本堂へどうぞ」と指をさしました。「えっ、あれが本堂ですか?」
新たに納骨堂でも建てたのかと思ったら、本堂でしたか……。より一層モダン度アップです。
住職がお留守でご朱印をいただけませんでした。若い方が「本堂をご覧になりますか」と案内してくださいましたが、それが5階にあるんです。唐草模様のエレベータなんて初めて。
青学が“蔦の絡まるチャペル”を取り壊してビルを建て、1階をチャペルにしたのを連想しました。上と下、どちらの方が受け入れやすいかしら。
(撮影禁止だというので、ひかり陵苑のサイトより写真をお借りします)
寝釈迦さまも面白いのですが、数の多さとピカピカ具合に圧倒されて、思わず「千体仏!」と声が出てしまいました。3年前にこの本堂を建設するにあたり、信者のみなさんが寄進してくださって、千体仏が復活したそうです。昔の千体仏がどうなったかと聞くと、「一体しか残っていないんですよ」と。それも長音の手になるものではなく、もっと新しい時代のものだということでした。
5階の窓の向こうに目黒不動の杜が見えます。「同じぐらいの高さでしょう? 目黒不動は階段であそこまで登るんです」。あら、ぜひ行ってみなきゃ。「この寺は目黒不動の末寺だったんです。隠居されるとこちらにいらしたんですよ」。
大きな狛犬は清代のものだそうです。
表に出ると、そこは目黒不動の参道です。うなぎ屋さんに人だかりができていました。