たこ薬師(成就院)

たこ薬師 成就院
 薄暗くなってきましたが、名前が気になったので「たこ薬師」に寄ってみました。

天台宗 開山は慈覚大師(最澄の弟子) 本尊は薬師如来、1月8日のみご開帳。
 慈覚は承和5年(832年)に唐に渡り、9年後に帰国しました。帰路、海が荒れたため、御持仏を海に投げて鎮め、無事に筑紫に帰ります。肥前の松浦で、海に投げた薬師像が光を放ち、蛸にのっているのに出会いました。その後、慈覚は東国を巡り、天安2年(858年)、目黒の地に諸病平癒のために、肥前で出会った蛸薬師の御姿を刻んで祀りました。
 成就院のサイトで見ていただきたいのですが、ご本尊は坐像で、その蓮華座を3匹の蛸が支えています。健気なたこさんたちです。


 山門。小さなお寺です。


 目黒のこのあたりはお寺が多いようですが、今日まわった安養院、目黒不動、そしてたこ薬師と、すべて慈覚大師の開山です。


「ありがたや 福をすいよせる たこ薬師」。開運、十両、千両、満両がすいよせられています。


 不老山。


 蛸だけど絵馬。

お静地蔵

天台宗東京教区>不老山薬師寺 成就院(通称:蛸薬師)

 元和の頃、家光公が、目黒の里に鷹狩のみちすがら親しく当山に参拝し、霊験を聞し召され、また当山の住侍舜興和尚と家光公との御談によって、保科正之は、生母お静の方が、当山での祈願を成就して、二代将軍秀忠公の第三子として世に出て、高遠城主に取りたてられ、のち会津城主に転封され、松平家の祖となり、四代将軍家綱公をたすけて大いに善政をしきました。
 このお静の方が大願成就の為に奉納された地蔵尊がお静地蔵尊と呼ばれ境内にまつられています。

 保科正之といえば、「大田切山の争い」のときの高藤藩主ですね(伊那谷の但唱(2)大田切山の争い)。こんなところでつながるとは。