閑唱さんの地(1) 崇禅寺
但唱さんと一緒に米子の山にこもっていた弟子の閑唱さんが美濃で活躍したあとをたどる旅です。
美濃といえば信長さんです。
崇禅寺は、美濃国守護土岐頼貞の孫にあたる妻木城主土岐明智彦九郎頼重(後裔に明智光秀)が、文和3年(1354年)に夢窓国師を勧請開山、果山禅師を開山として創建しました。その後代々の妻木城主の菩提寺として手厚い保護により、この地方屈指の禅寺として栄えました。江戸時代には69石の寺領を持ち、境内には代々の城主の菩提を弔う11の塔頭がありました。
当時が偲ばれる大きな本堂とお庭です。
大きなお鈴。
このお寺の裏に妻木氏の崇敬社であった八幡神社があり、別当の八幡院がありました。閑唱は(隣の多治見市の)笠原の心性寺と八幡院の住職を兼任し、いずれのお寺にも千体仏を納めました。
この旅のきっかけとなったいくつかの資料はこちら(木食メモ 美濃編)にまとめてありますのでどうぞ。
明治の神仏分離令により八幡院は廃寺となり、明治9年(1876)に崇禅寺に移築されました。真ん中の建物が八幡院の観音堂です。
屋根の上にはなにやら楽しげな人たちがいます。後年、葺き替えたものでしょうか。
お寺の方に「観音堂の千体仏を見せてください」とお願いして中に入れていただきました。雑然と並んでいますが、すべて八幡院のものだったのでしょう。
左の十王像と千体仏。これが閑唱さんの千体仏です。保存状態はよくありません。
本堂と観音堂の間の階段は、妻木城主廟所へと続いています。
本堂裏の心字池の睡蓮。