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閑唱さんの地(2) 但唱寺跡

但唱寺を紹介していた八幡神社の神主さんのブログを頼りに、はるばるこの地を訪れました。閑唱さんについてはこう書かれています。

このお寺には閑唱上人というありがたいお坊さんがおいでになりました。

上人は笠原の心性寺で千体仏を刻み、妻木の八幡院の住職を勤めた後、霊合山を隠居所としました。

閑唱上人の話は、紀州徳川家が作らせた書物の中に登場します。

上人は、厳しい寒さの中でも薄い衣ひとつで念仏のみをしていたといいます。

ある時信者達が上人に食べていただこうと珍味美味のものを届けたました。

しかし上人は胸に刺さると言って食べられませんでした。

また床下には大蛇が住んでおり信者がいない時には上人の膝を枕にしていたといいます。

 

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 残念なことに神主さんはお留守でしたが、親切なお嬢さんが但唱寺まで案内してくださいました。

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ここの地名は「山寺」といいます。名のとおり、山にはお寺がありました。お嬢さんはお墓の脇から山の中にずんずん入っていきます。

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「このへんが門なんだけど……」と示されたのがこちら。確かに人工的な段差です。

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おお、文字が書いてありますね。あまりお引き止めしても悪いので、「あとは自分たちで探してみます」とお嬢さんと別れました。

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山登りは想定していなかったので、半袖・サンダルという軽装でしたが、気にせずわさわさ進みます。草木をかき分け、蚊にさされ、やっとお寺の基礎部分らしきものをみつけました。

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石組みをたどってみると、結構な広さであることがわかります。

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下って門のあたりを探ると、さらにいろいろなものがみつかりました。

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「宝永二乙酉年」「・・・主禅定尼」「二月二十日」と読めます。調べてみたら、宝永2年(1705年)は乙酉(きのととり)でした。その2年後の宝永4年には富士山大噴火です。

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「円光山中興」?

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「三界万霊 道」かな?

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閑唱は、美濃の小さな山の中に但唱寺を建て、この地で没したのでした。