鎌倉寺めぐり(3)明月院

臨済宗建長寺派 福源山明月院

本尊は聖観世音菩薩。「あじさい寺」として有名です。

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永暦元年(1160)、この地の武将で平治の乱で戦死した山内俊通の菩提供養のために、子の経俊によって創建。

康元元年(1256)、鎌倉幕府第五代執権北条時頼公によって「最明寺」を建立。子の時宗が「福源山禅興寺」として再興。

康暦2年(1380)、関東公方足利氏満管領上杉憲方に禅興寺の中興を命じる。足利三代将軍義満が禅興寺を関東十刹の一位とする。

明治初年に廃寺となり、「明月院」のみを残して今日に至る。

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変わった形の階段を登っていきます。

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あじさい寺」の階段に続いています。

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聖観音様がまつられている方丈。

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悟りの窓のお部屋には300円お茶付きであがることができます。私はあがりませんでした。

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方丈の前には枯山水のお庭。春には木蓮と桜が咲くようです。

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奥まったところにある開山堂。左に洞窟があります。

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立て看板の説明のあらすじ。

明月院やぐら(羅漢洞窟)
間口7m、奥行6m、高さ3mで鎌倉市現存最大級。羅漢さんたちが釈迦如来多宝如来を囲んでいます。その前にあるのは、上杉憲方公をまつる宝篋印塔と禅宗様式の香炉です。

もともとは永暦元年(1160年)の平治の乱で京都で戦死したこの地の豪族、山ノ内俊道の菩提供養のために造られたといい、その220年後に上杉憲方が自分で墓塔を建立しました。

上杉憲方の子孫の憲政は北条氏康との戦に敗れ、越後の長尾景虎を頼り上杉の家名をゆずりました。景虎は後の上杉謙信です。

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「いつくしみ深き花地蔵」

いろいろなサイトを見たところ、お地蔵さんはもっている花にアクセサリーの色を合わせているようです。

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うさぎさんとかめさん。負傷中だって。

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