仁礼宿


 福島宿より南東へ、近道しようと大笹街道からはずれて畑の中の道をぐるぐるしましたが、たぶん5キロぐらいです。次の宿場町である仁礼に来ました。左の山が米子山、右奥が奇妙山です。

仁礼
 大笹街道の宿場町として発達してきた。大笹街道は当初は軍事用だったが、経済路線として幕府公許の街道となり、北信濃の発展に寄与した。口留番所跡の石碑や新問屋の長屋門が往時をしのばせる。


 仁礼小学校の角に明治時代の道路元標があります。左側面には、豊丘村、高井村(よく見えません)などと刻まれ、右側面には「位置/東径(ママ)一三八度二〇分/北緯三六度三六分/海抜五八〇米」とあります。このあたりは楡の木が多いから仁礼の名がついたそうです。


 公会堂のようなところに「大谷不動尊里堂」の碑があります。裏にグラウンドがあり、「○○さん、○○さん、××にお越しください」と村民大運動会らしき音が聞こえてきます。


 仁礼宿の南の入口にある新問屋。

新問屋
 主家は建て替えられたが、長屋門、納屋、土蔵、土蔵造りの店舗は大笹街道仁礼宿のかつての姿を残す唯一の屋敷である。長屋門は問屋としての営業を公認されていたことを表している。また扉の上に貼られた多くの札が往時の盛況をしのばせる。


 長屋門

 
 少し南に行くと上問屋・下問屋があるようです。問屋が3軒もある大きな宿場だったのでしょうか。上州では「仁礼街道」と呼ばれるぐらいですもんね。


 村のはずれに、どの地図にも載っていない石仏群を発見しました。寛政・天保の頃のものです。


 立派な石幢(せきどう)があり、いおりには「地蔵庵」の看板がかかっています。


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[つづく]