2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧
亀嶽山萬松寺は大須商店街の中にある曹洞宗のお寺です。天文9年(1540年)、尾張一円を領していた古渡城主、織田信秀公(信長の父)が織田家の菩提寺として開基しました。 白雪稲荷 奥の院へのトンネル 織田家の墓所 重軽地蔵 本堂は5階建て 身代り不動さん…
商店街から横に入ったところに善光寺がありました。 これは地蔵堂かしら。 お地蔵さん 本堂は2階なんでしょうが、今日はやめておきましょう。 名古屋時計病院 ちょっとした広場に出ました。後ろにお寺があります。 織田信長ゆかりの総見寺です。 総見寺 景陽…
大須観音通りに入っていきます。 「金のとりから」のからっぴーさん、ごくろうさまです! 「黄金のとりから」とは関係がないんですよね。 大須演芸場、2014年2月閉鎖。家賃滞納で立ち退かされたとか。 まねき稲荷 お隣は富士浅間神社。 近くの喫茶店に「清寿…
観世音の文字はよく見ると毛羽立っています。 ほう、菅公自筆自画像 大須観音蔵 ですか。 敷地は広いんだし、なにも階段脇じゃなくてもいいと思うんですけど。 「鳩のえさは50円です。硝子戸を開けたら必ず閉めて下さい。」
本殿の隣にはデザイナーズマンションがあります。 阿 吽 蛍雪天神 菅原道真も蛍の光(中国の故事)もごちゃまぜ。近所に『蛍雪時代』という学習雑誌を出していた出版社があるのは偶然でしょうか。 目玉おやじお守り 乙女心をくすぐるラインナップですね。
昨日のお話 14日は飯縄神社の里宮にお参りし、奥宮には西登山口から登りたかったので戸隠中社方面に向かいました。その途中の宝光社で飯縄神社の宮司を訪れ、これから奥宮に登るということでご朱印をいただきました。朱印代は奥宮の賽銭箱に入れるよう指示さ…
美しくも切ない「鬼女紅葉」の物語…。 お堂の隣の畑では、住職さんが耕運機で野良仕事。のどかだなぁ、鬼無里の古刹「松巌寺」に着きました。能や歌舞伎にもなった「紅葉狩」。その「鬼女紅葉」を祀る寺。さて、その伝説とは…。 鬼無里の伝説 「鬼女紅葉物語…
宝光社を右に折れ、36号線で鬼無里に向かう。大望峠のジグザグ道の途中、林の中でサルの群れを見つける。あぁ、山里だぁ。 道すがら、ふと、如意輪観音像を見た気がして車を止めた。振り向くと小高い丘に三十三観音の石仏!ヒャッホー!! 写真後方から来た…
続いて戸隠エリア「戸隠神社・宝光社」。 戸隠の伝説 天の岩戸神話と戸隠山 昔、世の中を明るく照らす天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴を怒り、天の岩屋へ籠ってしまいました。世の中は暗闇となり、色々な魔物が暴…
今回初めて知ったが「飯綱」「戸隠」「鬼無里」の頭文字をとって「いいときエリア」とし、売り出そうとしているらしい。それぞれ特徴のある町だったが数年前の市町村合併で長野市に合併されてしまった3つのエリア。賛否両論があった合併の良し悪しはともかく…
破風岳(1,999m) 小串硫黄鉱山跡 豊丘の穴水 豊丘ダム
破風岳からの下り、第15号カーブには幟が立ってにぎやかです。 明るくて文字がよく見えませんが、「豊丘の穴水」とあります。行ってみましょう。 豊丘の穴水 穴水は、破風高原を形成している御飯溶岩の下部、豊丘溶岩の厚い割れ目を伝い、岩壁表面や、洞窟奥…
去年は台風で中止された破風高原りんどう祭り(記事はこちら)ですが、今年はとってもいい天気です。車1台しか通れない山道を、第80号から第1号カーブまで数えながら、運転する人もしない人もたいへんな思いをして登っていきました。五味池駐車場の奥の、ふ…
宮島潤子さんの『謎の石仏―作仏聖の足跡』巻末の略年表にそって、「作仏集団」としての弾誓派の系譜をみてみましょう。 1551 天文20 弾誓、尾張に出生(52年説有) 1559 永禄2 弾誓12歳、名を弾誓と改め、美濃国国府の塚尾の観音堂に参籠。念仏修行6年の後、…
須走浅間神社…但唱が千体仏を奉納、阿弥陀堂を建てた 御殿場の大雲院…廃寺になった須走の寺の千体仏を迎える 杉名沢の天然寺…但唱が建てた寺。明治7年廃寺。
タクシーの運転手さんに、次は杉名沢の天然寺に行きたいといいますと、「営業所があるから毎日通るけど、お寺、あったかな……」と不安げな返事。営業所に問い合わせると、公民館の敷地内にありそうだということです。 これが天然寺ですか……。確かに公民館の庭…
駅前からタクシーに乗って大雲院に向かいます。運転手さんが地図はなくてもわかると言っていたので、有名なお寺かもしれません。 曹洞宗 大雲院 立派な山門です。案内板がかかっていました。 御殿場市十二勝の中大雲院の山門往昔深澤城の大手門を移築したも…
御殿場線裾野駅あたりからは、辛うじて富士山の裾野が見えましたが、この先、御殿場に近づくにつれ、雲の向こうに隠れてしまいました。 御殿場駅の立ち食いで名物「みくりやそば」をいただきました。つなぎに山芋を使い、出汁は鶏肉で、具は鶏肉、しいたけ、…
閑唱は現在の高山村にもいました。 黒部遺跡発掘調査報告書(1988) 大日寺 p.17 黒部区の文化財>大日寺 大日寺は天台宗万竜寺(須坂市亀倉)の末寺で、但唱上人より第2世の閑唱上人が黒部に隠居寺として開いたのが始まりといわれる。閑唱は修験者でもあり…
須坂水の会 会報第48号 2007年元旦(PDF) 米子川を調査したときの参考記事「奥米子の滝と信仰」より、気になる部分をメモしておきます。 閑唱 慶長18年(1613) 信州檀特山(米子奥山奇妙山)の洞窟に籠り、閑唱(上高井郡綿内村久保田宗衛門の子、9歳)と…
但唱の弟子である閑唱について調べました。 Dragon Art of Asia - 2012 - Year of the DRAGON: Manryu-Ji temples 外国の方が、「竜」のつく寺めぐりをしていて、須坂の萬龍寺(Manryu-Ji temples)、そして但唱(Saint Tanshoo)にいきついたようです。 こ…