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そうか、京都に行こう。3日目 (4)嵯峨「広沢池の千手観音」

バスで嵯峨に向かう。知る人ぞ知る隠れた名所、いや、地元の民と石仏マニアぐらいしか知らないであろう広沢池。(上記の写真は川辺の鳥の成る木)


水がない!? 干上がっている。どうしたことか。

「広沢池」
この池は宇多天皇の孫に当たる寛朝僧正が平安時代中期に池の北側(遍照寺山の麓)に遍照寺を建立したことに併せて造られたものと伝えられていますが、一説にはこの付近一帯の用水池として掘られたものともいわれています。遍照寺は池の辺に釣殿・月見堂などを設けた美しい風景を前にした大きな寺でありましたが、早い時期に荒廃し、その後、ここから南に約300mの所に再建されました。
西に位置する「大覚寺の大沢池」とともに古くより観月の名所として知られ、多くの歌人によって数多くの歌が詠まれてきました。
現在は鯉などの養殖が行われており、年末に池の水を抜いて成長した鯉を収穫する「池ざらえ」は京の冬の風物詩となっています。

そうか、冬の風物詩なのか。収穫した鯉は鯉コクにでもして食べるのであろうか、それとも売りさばくのか、そこまでは書かれていなかった。


 少し残った水の中に小さな魚が飛び跳ねる。魚を狙って鳥たちは集い、葉を散らした木々は京の冬を告げている。


「児(ちご)神社」の哀しき物語。長徳四年(998)六月十二日、寛朝僧正示寂。伝聞ではその時、遍照寺山腹の老松から龍となり、静かに昇天してゆくのが見えたという。残された僧正の稚児は悲しみに打ちひしがれ、池に身を沈めた。この稚児を弔うため「児神社」は建てられたという。


そう、私たちの目的は池の西岸にある観音島と呼ばれる出島。ここに木食但唱上人作の十一面千手千眼観音が一人佇んでいるのだ。


ずんぐりとした但唱仏らしい十一面千手千眼観音さま。


しかもこの千手の彫り方。他では見たことがない。


そっと、広沢の池を見つめています。


この観音島の先っぽには弁財天堂が建っている。

時間がなければ省いてもいいかと思っていたのだが、意外と面白かった。

おまけ
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