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そうか、京都に行こう。 3日目 (6)「蓮華寺」

龍安寺」と「仁和寺」という世界遺産の間で、隠れ蓑を被っている寺「五智山 蓮華寺」(真言宗御室派 別格本山)。そこいらのガイドブックにゃ載ってないマイナーな寺だけど、私たちの京都の旅、第一の目的であったりする。(私の第一の目的は伏見の「石峰寺」だけど)。いつ醒めるやも知れぬ私たちの「但唱ブーム」。ここ「蓮華寺」と「広沢池」は欠かせない。


不動堂内、「五智不動尊」。千余年の永きに亘り、弘法大師初願のお守り不動として広く信仰を集めている。


こちらが待ちに待った但唱上人の「五智如来」。やっと会えたね。

「蓮華寺縁起」
天喜五年(1057)藤原康其は、御冷泉天皇の御願により蓮華寺を建立。その後、応仁の乱(1467)の兵火にあい、鳴滝音戸山の山上に移されたが、百数十年の長い間荒廃が続いていた。 寛永十二年(1635)伊勢生まれの江戸の豪商樋口平太夫家次翁は、五智不動尊霊夢に導かれ発心入道し、秩父・西国・坂東の百番札所を裸足で木喰行をしながら、六年間かけ成し遂げた。寛永十八年(1641)荒廃していた蓮華寺の伽藍堂宇を再興し、仁和寺の宮覚深法親王(御水尾天皇皇兄)より改めて五智山蓮華寺の号を賜った。 ……。
寛永十八年、平太夫翁が蓮華寺再興にあたり、木喰僧・坦称(但唱)上人に五智不動尊像の修理と五智如来の彫刻を依頼。坦称(但唱)上人はこの彫刻にあたり信州・浅間・紀州那智三山で各百日の荒行を遂げて、現在の石仏を完成された。

要するに、江戸のお金持ちが夢のお告げにより、京の荒廃した寺を再興しようと発心し、六年間の修業の後、再興にこぎ着けた。そのため依頼を受けた坦称(但唱)上人はコツコツと石仏を彫りあげ、京の都に届けた。ということか、なるほど。

五智如来とは」
五大如来とも呼び、大日如来を中心とし、宇宙そのものを象徴したもので、太陽のごとく万物を慈しみ、智慧と五穀豊穣の功徳を表し、古来より庶民により深く信仰されてきました。

では、向かって右から自己紹介をしていただきましょう。


薬師如来」 病魔を退散させ、医薬の功徳を表します。


「寶 (宝)生如来」 福徳財宝の功徳を表します。


大日如来」 太陽を示し、万物を慈しみ、五穀豊穣の功徳を表します。


阿弥陀如来極楽往生功徳を表します。


「釋迦 (釈迦)如来」 智慧聡明の功徳を表します。

皆さん、ありがとうございました。先ほどの「広沢池」の千手観音さまにも再度御登場願います。


やはり作風が似てる。こちらも但唱仏。


それでは最後にもう一枚、撮らせてもらいます。


「五智不動尊」の御朱印。