湯島さんぽ(1) 湯島天神

f:id:muukufu:20140731013106j:plain
 オフシーズンの湯島天神

f:id:muukufu:20140731013158j:plain
 参拝客は子連れが多かったです。

f:id:muukufu:20140731013254j:plain

f:id:muukufu:20140731013320j:plain
 牛に乗る道真公

f:id:muukufu:20140731013341j:plain
 牛と梅が枝

f:id:muukufu:20140731013400j:plain
 だるまはお礼参り用

f:id:muukufu:20140731013428j:plain
 絵馬をかける厚みが他所とは違います。この頑丈なのがいくつも設置されており、さすが湯島天神さんです。

f:id:muukufu:20140731013729j:plain
 新しい牛さん

f:id:muukufu:20140731013813j:plain
 年季の入った牛さん

f:id:muukufu:20140731013906j:plain
 新派の碑。新派は明治21年12月自由党の同志が大阪の新町座で「大日本壮士改良演劇会」の旗揚げをしたのが起源とされています。新派劇創立90周年を記念して、昭和52年に新橋演舞場玄関脇に建てられましたが、演舞場改築にあたり、54年に湯島天神境内に移されたそうです。

f:id:muukufu:20140731014145j:plain

講談高座発祥の地

 江戸時代中期までの講談は、町の辻々に立っての辻講釈や、粗末な小屋で聴衆と同じ高さで演じられていた。文化4年(1807年)湯島天満宮の境内に住み、そこを席場としていた講談師伊東燕晋が、家康公の偉業を読むにあたり、庶民と同じ高さでは恐れ多いことを理由に高さ三尺一間四面の高座常設を北町奉行田切土佐守に願い出て許された。これが高座の始まりであり、当宮の境内こそ我が国
伝統和芸講談高座の発祥の地である。

f:id:muukufu:20140731014211j:plain
 文房具宝の碑とガス燈

f:id:muukufu:20140802172941j:plain