新宿山ノ手七福神(4) 厳島神社(弁財天)
平安中期、白河天皇の御代の応徳3年(1086)、鎮守府将軍・源義家は、奥州征伐の途中でこの地に立ち寄り、遠く富士を臨み安芸の厳島神社に勝利を祈願しました。義家は奥州鎮定後、その御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが厳島神社の始まりです。
江戸時代には、参道が南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から、「抜弁天」として庶民から信仰されました。江戸五大弁天(あるいは六弁天)の一つに数えられています。
徳川綱吉の「生類憐みの令」により、この付近に2万5000坪の犬小屋が
設けられていました。
古地図の通り、抜弁天の前が複雑な交差点になっているのは今も同じです。
ご朱印は1月1日~7日以外は西向天神社でいただけます。
弁財天。古事記に出てくる市杵島媛命という水の神様です。水を司るところから五穀豊穣の守り神であり、女性であることから江戸時代は富貴の神として人気を集めました。
新宿山ノ手七福神(3) 法善寺(寿老人)
日蓮宗 春時山法善寺
「七面様」と呼ばれる法善寺。今回はおまいりしませんでしたが、七面明神は日蓮宗の守護神で、中正院日護上人(1580~1649)の作と伝えられる30cmの木像で、唐風の衣装に宝冠をかぶり、華麗な彩色がほどこされているそうです。
寿老人の像は庫裏にまつられています。
昔、駿河国大久保の三沢さんという人が七面社に深く帰依しており、万時年間(1658~1660)に江戸に初めて勧請しました。七面堂が無事完成して喜んだ職人さんが、この寺に伝教大師作の大黒天があることを知り、寿老人もおまつりしようと方々を探していたところ、ある夜、不思議な夢を見て、小石川の民家で寿老人の像を手に入れてこの寺に寄進しました。職人さんは信仰が深く、家運がますます栄えたということです。なお、七面堂はいまでは取り壊されたため、七面明神は本堂に安置されています。
寿老人は中国出身。老人星の化身で不老不死の霊薬を持っていることから長寿の神として親しまれています。