入谷の鬼子母神
「入谷の鬼子母神」と呼ばれる真源寺です。鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様です。「恐れ入谷の鬼子母神」というコピーは、江戸時代の武士であり、文人・狂歌師の大田南畝(蜀山人)作といいます。昼は真面目な公務員、夜は洒脱な人気者だったみたいです。対の句は「びっくり下谷の広徳寺」といいますが、練馬に引っ越したようです。
意外なことに、朝顔市は明治になってから「江戸の技を伝えるために」はじまりました。朝顔市を除けば、境内はいつもひっそりしており、お堂も閉まっています。首都高と言問通りの角に近く、閉めておかないと排気ガスで汚れてしまいそうですもんね。
鬼子母神の由来
よその鬼子母神の説明ですが、わかりやすかったので引用。
その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産みました。しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。
お釈迦様は、その過ちから帝母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまいました。その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。
そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。
柘榴の花。
実。
畳針供養の碑。