洛陽三十三観音巡礼 京都駅八条口方面 ㉑㉒㉕と丈六さん
お顔を拝むと、不思議なチカラを感じる理由。それが、京都のエナジー。
京都の町は縦横碁盤の目でわかりやすいというが、それは町中のこと。ここ泉涌寺・東福寺界隈は見事に入り乱れ、いったん路地に入ると方向さえも分からない。確かに私は方向音痴だが、東福寺の通天橋があそこに見えるからと歩を進めてみても、目的地に至る道が見つからない。なんてこったぁ。
迷う前に見つけられた21番法性寺。道側から写真を撮っていたら玄関先で、何やら手でバッテン印をしているお婆さんがいる。線路際にある寺なので電車の音で何を言っているのかわからない。閉門時間にはまだ早いはずだ。「巡礼をしている者ですが」とやっと中に入れてもらえた。先ほどのジェスチャーは何だったのかと聞いてみたら、堂内だけではなく外見の撮影も禁止だという。道側からも撮っちゃいけないの!? そこまで徹底してるとは。もちろんお庭のお地蔵さんも撮っちゃダメ!こんな閉鎖的なお寺が霊場なの? お寺って老若男女誰でも受け入れてくれるところだと思っていたのに。堂内撮影禁止というのは分かるし、守ってきたけど、これはあんまりだ。失望と落胆。二十七面千手観音という珍しい御本尊(拝めるのはお前立)を楽しみにしていただけに、拝みたいという気もなくし、只、300円を払って御朱印をいただいただけ。門を出て、深いため息をついただけ。
さて、気を取り直し、京都駅八条口を出て烏丸通を真っすぐ九条に向かうと右手にあるのが22番城興寺。
本堂。扉のガラス窓から覗いてみたが、厨子は固く閉ざされていた。
隣の「摂社 次郎吉稲荷」次郎吉って誰だ? 「それおまえのスピードけ?」「どの花咲かす?」など指詩家まさし氏の作品がいくつかある。おみくじはこのまさし氏の書によるもので「苦しなったらパス出せよ」であった。
場所は変わって泉涌寺通の25番法音院。
観音堂に、三十三霊場では唯一の「不空羂索観音」が祀られている。
ん~、微妙にお顔を隠しています。
「御本尊 不空羂索観音」 ふくうけんじゃくかんのん
サンスクリット語で「必ず獲物を捕らえる縄」という意味のアモーガパーシャ。アモーガは「空しくない(不空)」の意。パーシャは古代インドで狩猟に使った投げ縄のことで、漢訳では羂(わな)の索(つな)と解して羂索と表記した。勝れたパーシャが必ず鳥や魚を捕らえるように人々をあまさず救う菩薩。故に「不空羂索観音」という。
洛陽三十三観音の霊場ではないけれど、こちらの丈六さんに会いたかったの。法音院の向かいにある戒光寺。国の重要文化財である運慶・湛慶父子の丈六釈迦如来。
看板には
10メートルの木彫の大佛さんです。昇殿して参拝ください
とあるのでお堂の中にあがらせてもらう。でっかい!見上げるほどのお釈迦様。いいお顔なさってますね。 ご自由にお飲みくださいと甘茶も用意されていた。
現在、デスクトップを飾っている写真です。
南天や花などで、もてなしてくれています。「お忘れ物はないですか?」という言葉と共に。